浅田真央選手と「しかみ像」

出世の街浜松 酒肴遊善じねんの社長日記

2014年03月15日 17:37

まだ記憶に新しいソチオリンピックでの浅田真央さん(●^o^●)

日本中の心を魅了した日本人「浅田真央選手」の存在!!

時々思い出しては胸を締め付けられます\(◎o◎)/!

女子フィギアスケートショートプログラムでの大失敗。

しかし翌日のフリーでパーフェクトの演技!!自己ベストを更新した。

様々な苦悩から立ち上がり向かっていく「不屈の精神」!!

そして「大成功する」。これには本当に涙しましたよね。

私にはこの姿が浜松時代の德川家康公」と重なるのです。

<ショートプログラムでのジャンプでのミスで転んでしまった浅田真央選手。>



さまざまな精神的苦悩や重圧を乗り越え

フリーでのパーフェクト演技を終えた瞬間、感極まる浅田真央選手。

    


德川家康公は家臣のため、民のため、戦のない天下泰平の世を築くため

命をかけ、幾度も戦い負けても立ち上がりまた向かっていくその姿は

紛れも無く「英雄」であり、まさに誇れる「日本人」の存在そのもの。

現世であれば浅田真央選手が賞賛されるように

まだ征夷大将軍になっていない浜松時代の德川家康公ですから

いわば選手として浅田真央さんのように日々戦っていたわけです。

「戦う、不屈の精神の家康公」として、もっと賞賛されてもいいのかと思いますよね。

この浜松時代の苦悩の日々こそが、後に天下人になっていく礎となったのです。

現に天下分け目の関が原の戦いでは三方ヶ原の負け戦から学んだ

武田軍の戦術で見事勝ち得ることができたのです!!

私は平和のために戦う浜松時代の德川家康公が大好きですが、

日本の期待に応えようと戦う浅田真央さんも大好きなのです\(^o^)/


「しかみ像」徳川家康三方ヶ原戦役画像(徳川美術館所蔵)
      


三方原の合戦(浜松「德川家康軍」VS甲斐の「武田信玄軍」の戦)にて

生涯最大の敗北を記した「徳川軍」。

そんな中多数の家臣が身代わりとなって命を捨て家康公を守った。

家康公は命からがら浜松城へ帰還することができた。

その際、家康公は自らが苦悩と恐怖の表情を絵師に描かせた「しかみ像」

以来、この肖像画を大切にし、慢心の自戒として生涯座右を離さなかったと伝えられる。

この大敗より多くを学んで後に天下を収めていく有名な「負け戦・三方ヶ原の戦い」である。
    
         


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