華道御室流 松韻亭

カテゴリー │浜松の宝

華道のお稽古

浜松市「松韻亭」にて華道のお稽古が開かれました。

世界遺産にもなっている「仁和寺」に伝わる華道御室流

仁和寺は、浜松出身の二代将軍德川秀忠公も三代将軍家光公も関わっている寺。

仁和寺・華道御室流の浜松出身の師範 湖風斎裕心先生のご講義が始まりました。

華道御室流 松韻亭
華道御室流 松韻亭

德川家康公、秀忠公、家光公の3代の将軍は、花好きで知られ

特に二代将軍秀忠公は自ら集めた珍種の草花や

諸大名から献上された植物を集めて、江戸城内吹上の庭に

植えて楽しんだと伝えられております。

華道御室流 松韻亭
華道御室流 松韻亭
華道御室流 松韻亭
華道御室流 松韻亭
華道御室流 松韻亭
華道御室流 松韻亭
華道御室流 松韻亭
華道御室流 松韻亭
華道御室流 松韻亭
華道御室流 松韻亭

てへっ!松韻亭のお楽しみ・・・

華道御室流 松韻亭


浜松は本当に魅力にあふれていると思う!!

湖風斎裕心先生のような立派な方がどんどん生まれている。

「松韻亭」のように披露する場所もある。

世界遺産「仁和寺」に伝わる華道を知りたいという質の高い方々がいる。

すきだなあ浜松\(^o^)/



世界遺産「仁和寺」 ホームページより

仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する
一寺の建立を発願されたことに始まります。

しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の
遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。
宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇と
なってから、皇室出身者が仁和寺の代々門跡(住職)を務め、平安〜鎌倉期には門
跡寺院として最高の格式を保ちました。

しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほとんどを兵火
で焼失するという悲運に見舞われました。そんな中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什
物、聖教などは仁和寺の院家であった真光院に移され、法燈とともに伝えられていき
ました。

応仁の乱から約160年後の寛永11年(1635年)、ようやく再興の機会が訪れます。
『仁和寺御伝』によれば、同年7月24日、仁和寺第21世 覚深法親王は、上洛してい
た徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾されるのです。
さらには慶長度の御所造替とも重なり、御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(御影堂)
など多くの建造物が下賜され、正保3年(1646年)に伽藍の再建が完了。ようやく創建
時の姿に戻ることが出来たのです。

慶応3年(1867年)、第30世 純仁法親王が還俗したことにより皇室出身者が門跡と
なる宮門跡の歴史を終えます。また、明治20年(1887年)には御殿の焼失がありまし
たが、大正時代に再建。
昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、近年では
平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとしてユネスコの「世界遺産」に登録さ
れ新たな歴史を刻んでいます。



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Posted by 出世の街浜松 酒肴遊善じねんの社長日記 at 10:37│Comments(2)浜松の宝
この記事へのコメント
むかーし若かりし頃
池の坊を学んでた事あったけど
もう腕も感性も どっかに忘れてきちゃったような(~_~;)

「御室流」 初めて知りました。
自由で斬新で いいですねぇ☆
Posted by たいたい at 2012年06月28日 16:11
たいたいさん

ホントですねえ。。

世界遺産の仁和寺の生花ですから

とてもありがたい感じがしましたぁ

<(_ _)><(_ _)><(_ _)><(_ _)>
Posted by じねんの社長日記じねんの社長日記 at 2012年06月29日 19:30
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華道御室流 松韻亭
    コメント(2)